所蔵史料目録データベース
≪解題≫
【史料種別】
特殊蒐書
【蒐書名】
林家史料
【解題】
 本蒐書は、昭和19年(1944)林曄氏より寄贈された林家旧蔵の史料約2,000点である。林家は、徳川家康に側近として仕えた林信勝(羅山)を祖とし、三代信篤(鳳岡)より大学頭に任じ、代々儒学をもって仕え、江戸幕府の教学に重きをなした家である。その忍岡の家塾は幕府の学問所的役割を担い、のち湯島に移って昌平黌となり、寛政2年(1790)には官立の昌平坂学問所となって旗本の子弟の教育等にあたった。本蒐書を内容によって大別すると、次の7つになる。

1. 先祖書・家譜、歴代当主の画像(注1)・墨跡・墓碑の拓本(注2)など代々の当主に関わるもの。
2. 領知判物、江戸下屋敷関係書類、知行村の高帳など家産に関するもの。
3. 林家の役務に関して作成されたもの。この中には、朝鮮通信使との筆談(注3)、代々将軍の實名(注4)、法号等幕府からの諮問に答えた記録、幕末の欧米との通商条約等の写などがある。
4. 『神道要語』『織田信長譜』『蕉窓永言』等歴代当主による著書。
5. 門人帳(升堂記)や学事に関する備忘録(掌録)等。
6. 林述斎宛の松平定信書簡等歴代当主の往復書簡。
7. 典籍類。

 但し、昌平坂学問所等に収集されたものの大部分は内閣文庫に入ったのでこの蒐書に残された江戸期のものは僅かであり、むしろ明治以後購入されたものが中心である。そうじて、林家の家産的性格を持つ史料群であるが、その江戸幕府における教学面での高い地位を反映して興味深い内容のものが多い。

注1
   歴代の肖像画15幅・2葉が含まれている。
 2代鵞峰、4代榴岡(2幅)、5代鳳谷(2幅)、6代鳳潭、7代錦峰、8代述斎(2幅・2葉)、9代?宇(2幅)、10代壯軒、11代復斎(2幅)のもので、他に信愛(鳳谷の子、明和8年(1771)父に先立って没。諡は孝悼。)の一幅がある。
注2
   林家墓地は現在東京都新宿区市ヶ谷山伏町にあり、国史蹟に指定されている。遺稿類中に林家歴代の墓碑銘を主とする34点の拓本があり、碑額と本文を別々に摺写したもの、同一碑文の重複するものを含む。その後の処理も、軸装したもの、摺写した儘のものなどが混って未整理の様子が著しい。本文は林家門人の撰文にかかり、その功徳を顕彰することに傾くがその内容は「家譜」などの記述を補うに足るものがある。書体は謹厳を表わすために楷書に限られる。共に門人の文と書跡を伺うべき資料である。
注3
   江戸時代、朝鮮から日本に派遣された12度に亘る通信使一行には、詩文に堪能なものが多く、使節は日本国内各地で歓迎され、江戸まで(但し元和3年度は伏見まで、文化8年度は対馬まで)の往来の道中で詩文を求められたり、或は筆談を交している。その盛んであったことは、各地に残されている通信使の墨跡、「和韓唱酬」等の名で伝わる多くの書物(『通航一覧』巻101~111参照)等によってうかがうことができる。
 林家は羅山以来、江戸において通信使の接待にあたっており、羅山らが通信使と贈答した詩文・筆談等が諸書に収められ、通信使が羅山・鵞峯・読耕斎・鳳岡らに贈った詩文・筆談等の原本が含まれている。
注4
   林家では、将軍代替り毎の武家諸法度の改定、領知の判物や朱印状の交付に関わる御用を勤め、あるいは、幕府の諸儀式儀礼の先例の調査、将軍家に関わる人物の実名・呼名の撰進にあたっていた。

【林家家系】
生没年別名
一代信勝(のぶかつ)天正11年-明暦3年(1583-1657)羅山、道春、文敏
二代春勝(はるかつ)元和4年-延宝8年(1618-1680)鵞峯、春齋、文穆
三代信篤(のぶあつ)正保元年-享保17年(1644-1732)鳳岡、春常、正献
四代信充(のぶみつ)天和元年-宝暦8年(1681-1758)榴岡、正懿
五代信言(のぶとき)享保6年-安永2年(1721-1773)鳳谷、正貞
 信愛(のぶよし)延享元年-明和8年(1744-1771)孝悼
六代信徴(のぶあき)宝暦11年-天明7年(1761-1787)鳳潭、正良
七代信敬(のぶたか)明和4年-寛政5年(1767-1793)錦峯、簡順
八代衡(たひら)明和5年-天保12年(17680-1841)述齋、快烈
九代皝(ひかる)寛政5年-弘化3年(1793-1846)檉宇、靖悋
十代健(たけし)文政12年-嘉永6年(1829-1853)壯軒、昭粛
十一代韑(あきら)寛政12年-安政6年(1800-1859)復齋、文毅
十二代昇(のぼる)天保4年-明治39年(1833-1906)學齋、文靖